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諏訪多 栄蔵(すわた えいぞう、1911年2月10日 - 1992年5月5日)は、日本の登山家。 東京市日本橋馬喰町生まれ。1928年工学院(現工学院大学)冶金学科卒、トキワ鉛工業に入社。大阪に住み、西岡一雄らの手引きで登山を始める〔『ヒマラヤ山河誌』年譜〕。吉沢一郎、望月達夫、深田久弥らとともに日本のヒマラヤ研究の第一人者であった。 ==著書== *『穂高岳 登攀ルート図集』朋文堂 1949 *『アルピニズム入門』三笠書房 1957 *『マッターホルン 四つの岩稜と四つの岩壁の初登攀』山と渓谷社 1958 *『ヒマラヤ山河誌』雁部貞夫,薬師義美編 ナカニシヤ出版 1994 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諏訪多栄蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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