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諏訪 忠恒(すわ ただつね)は、江戸時代前期の大名。信濃国諏訪藩の第2代藩主で、初代藩主諏訪頼水の長男。 慶長12年(1607年)、第2代将軍徳川秀忠に謁見して刀などを賜り、元服して忠頼(ただより、初名)と名乗った(「忠」の字は秀忠の偏諱と思われる)。 慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では信濃国高島城を守備し、翌年の大坂夏の陣では、甲府城守備を任じられた父に代わって大坂へ出陣し、榊原康勝軍に属して、若江の戦いや天王寺の戦いで奮戦し、戦後、筑摩郡に5000石を加増されている。 寛永17年(1640年)、父から家督を譲られた。そして藩政に力を注ぎ、新田開発に努めた。明暦3年(1657年)9月28日に63歳で死去。家督は長男の忠晴が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諏訪忠恒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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