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諏訪忠粛 : ウィキペディア日本語版
諏訪忠粛[すわ ただかた]

諏訪 忠粛(すわ ただかた)は、信濃高島藩の第7代藩主。第6代藩主・諏訪忠厚の長男。
明和5年(1768年)4月4日生まれ。父が暗愚だったために起こった家督騒動である二の丸騒動では、反忠粛の家臣らによって暗殺されかけたこともある。しかしこの騒動で父が幕府より強制隠居を命じられたため、天明元年(1781年)12月11日に跡を継ぐこととなった。
天明5年(1785年)からは坂本養川を登用して、検地や新田開発、税制改革、鋸製造業の奨励などを中心とした藩政改革を行い、ある程度の成果を収めた。享和3年(1803年)には藩校・長善館を創設して、藩士子弟の養育や藩医を長崎に留学させて蘭学を学ばせるなど、学問も積極的に奨励した。文化13年(1816年)11月21日、長男の忠恕に家督を譲って隠居し、文政5年(1822年)6月28日に死去した。享年55。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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