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諏訪盛経 : ウィキペディア日本語版
諏訪盛経[すわ もりつね]

諏訪 盛経(すわ もりつね)は、鎌倉時代中期の武士北条氏得宗家被官である御内人文永3年(1266年)以前には出家していたと推定され〔『吾妻鏡』文永3年(1266年)6月19日条に「諏方三郎左衛門入道」とある。〕、法名は真性(しんしょう)〔『尊卑分脈 第3篇』P.102では盛経の弟・盛頼の項に「出家真性」と書かれているが、「香取社姫殿遷宮用途注文」(『香取神社文書』)に「諏方三郎左衛門入道真性」と記されていることから、「三郎左衛門」の通称を持つ盛経の法名と考えられており(『国史大辞典』、細川論文・脚注(38))、『系図纂要』ではこの説を採用している。〕。
史料における初見は、建長3年(1251年)、藤原頼嗣の祖母が死去した折、北条時頼の使者として上洛したという『吾妻鏡』の記載〔『吾妻鏡』建長3年(1251年)11月27日条。但し、名は「諏方三郎盛綱」と記載されている。〕である。佐藤業連平頼綱らと共に被官として政務の中枢に携わった人物であり、『建治三年記』には寄合衆としての活動が記載されている。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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