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諏訪頼雄 : ウィキペディア日本語版
諏訪頼雄[すわ よりかつ]

諏訪 頼雄(すわ よりかつ)は、信濃諏訪藩家老。諏訪図書家初代。諏訪頼忠の四男。兄頼水に家老として仕え、領内の新田開発に功績があった。
== 生涯 ==
諏訪頼忠の四男として生まれ、幼時は、父頼忠の徳川家への人質として父が臣従した徳川家康の居城の駿府で過ごす。文禄元年(1592年)、上野国総社領主となった兄頼水に仕えた。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際には、徳川秀忠付きとなった頼水の供をして、上野国高崎城を守備した。慶長6年(1601年)、頼水が、功績により旧領信濃国高島へ転封となるとそれに従う。頼水の意向に従って、領内原山の新田開発を指揮し、慶長15年(1610年)、に完成させた。慶長16年(1611年)、江戸藩邸で火災が起こり、火元となった藩士高山左太夫の処罰を巡って、厳罰を主張する頼水に諫言して対立し、他の重臣達と共に藩を退去する。翌慶長17年(1612年)、屋代秀正小笠原秀政の仲裁により頼水が折れて帰参する。慶長19年(1614年)、元和元年(1615年)、大坂夏冬両陣では甲府城守備を命じられた頼水に従う。
元和7年(1621年)、病により隠居して家督を嫡男盛政に譲る。寛永8年(1631年)11月4日死去。代々、高島城二の丸に居住し二の丸家と呼ばれ、8代頼保は二の丸騒動で切腹を命じられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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