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論理学の歴史では妥当な推論を探求する学問の発展を取り扱う。形式論理学は古代の中国、インド、ギリシアで発展した。ギリシア論理学、中でもアリストテレス論理学は科学・数学に広く受容・応用されている。 アリストテレス論理学は中世のイスラーム圏およびキリスト教西方世界にさらに発展し、14世紀半ばに頂点をむかえた。14世紀から19世紀初めまでの時期は概して論理学が衰退し、軽視された時期であり、少なくとも一人の論理学史家によって論理学の不毛期とみなされている〔Oxford Companion p. 498; Bochenski, Part I Introduction, ''passim''〕。 19世紀半ばになると論理学が復興し、革命期が始まって、数学において用いられる厳密な証明を手本とする厳格かつ形式的な規則へと主題が発展した。近現代におけるこの時期の発展、いわゆる「記号」あるいは「数理」論理学は二千年にわたる論理学の歴史において最も顕著なものであり、人類の知性の歴史において最も重要・顕著な事件の一つだと言える〔Oxford Companion p. 500〕。 数理論理学の発展は20世紀の最初の数十年に、特にゲーデルおよびタルスキの著作によって起こり、分析哲学や哲学的論理学に、特に1950年代以降に様相論理や時相論理、義務論理、適切さの論理といった分野に影響を与えた。 ==論理学前史== 妥当な推論は人類の歴史のあらゆる時代に用いられてきた。しかしながら、論理学は妥当な推論・論証・証明の「原理」を研究するものである。推論によって結論を導くという発想はおそらく、元来「土地の測量」を意味した幾何学()との関連から生まれてきた〔Kneale, p. 2〕。特に、古代エジプト人は経験的に、先端を切ったような形のピラミッドの大きさの求め方などの幾何学的真理をいくつか発見していた〔。 もう一つの起源はバビロニアに見いだされる。紀元前11世紀のの医学書『診断手引書』は一連の論理的な公理系・前提に基づいて構築されており〔H. F. J. Horstmanshoff, Marten Stol, Cornelis Tilburg (2004), ''Magic and Rationality in Ancient Near Eastern and Graeco-Roman Medicine'', p. 99, Brill Publishers, ISBN 90-04-13666-5.〕、一方で紀元前8-7世紀のバビロニア天文学者は内的論理を惑星の運行の予測に用いて科学哲学における重要な業績を上げた〔D. Brown (2000), ''Mesopotamian Planetary Astronomy-Astrology '', Styx Publications, ISBN 90-5693-036-2.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「論理学の歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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