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諫早湾干拓事業(いさはやわんかんたくじぎょう)とは、有明海内の諫早湾における干拓事業。諫早湾での干拓は古くから行われてきたが、本項目では主に1989年(平成元年)に着工した農林水産省による国営干拓事業とそれを巡る論争について記載する。 == 概要 == === 構想 === 1952年、長崎県知事西岡竹次郎(当時)が長崎県の平地を広げることと当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」として発案した〔。これが諫早湾干拓事業が発案されたきっかけである。干拓によって広大な干拓地が得られるとともに農地の冠水被害(塩害)が防がれ農業用水も確保されるとされた。当初の計画では諫早湾11000haを締め切って巨大な干拓地を造るものであったが、予算の関係で規模を1/3に縮小して農水省が1989年に着工した〔。潮受堤防は全長7kmにもなる。 * 計画面積3500ha * 造成面積: 約942ha(農用地等面積:約816ha、うち農地670ha〔) * 調整池面積:約2,600ha〔 * 営農計画 - 露地野菜、施設野菜、施設花き、酪農、肉用牛 * 事業費 - 2,533億円 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諫早湾干拓事業」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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