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諫早茂敬[いさはや しげよし] 諫早 茂敬(いさはや しげよし、慶長13年(1608年) - 慶安5年(1652年)5月)は、3代諫早邑主。2代諫早邑主で龍造寺姓より諫早姓に改姓した諫早直孝の子。通称は豊前。姉に彦宮(鍋島勝茂養女。鍋島常貞室)。室は佐賀藩主鍋島勝茂の娘宝乗院。子に茂清、茂孝、茂真、鍋島直之室(のちに離縁)。 寛永14年(1637年)、鍋島勝茂のもとで島原の乱に出陣し、原城の攻略で先手として武功を挙げた〔33回忌に建てられた島原の乱戦没者追悼碑(天祐寺内)には、武士67名、又者14名、百姓11名、合わせて92名分の氏名が刻まれている。また、出陣の時の旗印は諫早市郷土館に収蔵されている(諫早市公式HP)。〕。正保4年、長崎に通商を求めて来航したポルトガル船の警戒をした。墓所は諫早氏代々の墓がある諫早市天祐寺。 == 注釈 == 〔
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