|
諸樊(しょはん、? - 紀元前548年、在位:紀元前560年 - 紀元前548年)は、春秋時代の呉の第2代の王。姓は姫。名は遏〔 『春秋左氏伝』 〕、あるいは謁〔『春秋公羊伝』および『春秋穀梁伝』〕と表記される。寿夢の子。紀元前561年9月、父の寿夢が死去すると、跡を継いで王となった。闔閭〔『史記索隠』が引く唐の孔穎達の言によると、闔閭は弟の余昧の息子で、諸樊の「甥」とする。〕と夫概の父である。 前548年秋、楚の属国である舒鳩が叛いたので、楚の令尹屈建は兵を率いて舒鳩を攻めた。諸樊は舒鳩の救援のため出陣したが楚軍に大敗し、舒鳩も滅亡した。同年12月、諸樊は楚の属国である巣に攻め込んだが、巣の牛臣に射殺された(『春秋左氏伝』)。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諸樊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|