翻訳と辞書
Words near each other
・ 譚平山
・ 譚延ガイ
・ 譚延美
・ 譚延闓
・ 譚廷襄
・ 譚慶林
・ 譚抜士
・ 譚政
・ 譚星
・ 譚歌
譚浩明
・ 譚海
・ 譚海 (サッカー審判員)
・ 譚玉齢
・ 譚璐美
・ 譚盾
・ 譚紹光
・ 譚耀文
・ 譚詠麟
・ 譚詩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

譚浩明 : ウィキペディア日本語版
譚浩明[たん こうめい]

譚 浩明(たん こうめい)は、清末民初の軍人・政治家。桂軍(広西軍、広西派)の指導者の1人で、陸栄廷を中心とする「旧広西派」(旧桂系)と呼ばれる集団の一員。陸の義弟(姉が陸の妻)に当たる。月波チワン族(壮族)出身。
== 事跡 ==

=== 旧桂系での台頭 ===
農業・水運を営む家庭に生まれ、譚浩明は青年期は家業を手伝っていた。その後、陸栄廷が譚の姉と結婚、清仏戦争以降は譚は陸に随従し、その下で順調に昇進していく。1911年宣統3年)6月、陸が広西提督に昇進すると、譚は広西巡防営統領に任命され、南寧に駐屯した。
中華民国が成立し陸栄廷が広西都督兼民政長に就任すると、譚浩明は桂軍第2師師長に任命された。1913年民国2年)7月に二次革命(第二革命)が勃発すると、譚は省内の革命派を鎮圧した。翌年7月、竜州鎮守使と広西辺防対訊督弁を兼任し、竜州に駐屯した。
1915年(民国4年)12月に袁世凱が皇帝に即位すると譚浩明は二等男に封じられた。しかし陸栄廷は袁に対する不満を抱いていたため、護国戦争第三革命)勃発後の1916年(民国5年)3月15日に反袁独立を宣言した。譚もこれに従い、5月1日に両広護国軍都司令部が成立すると、譚は護国軍第5軍軍長に就任した。
6月6日に袁世凱が死去すると、陸栄廷は広東督軍竜済光を駆逐し、広東省の支配権を獲得した。1917年(民国6年)4月、陸が両広巡閲使に就任すると、譚は広西督軍に任命された。6月20日には、陸の指示の下で、広東督軍陳炳焜と共に「両広自主」を唱え、北京政府への対決姿勢を示した。
その後、譚浩明は陸栄廷から「粤桂聯軍総司令」に任命され、湖南省で発生していた各軍混戦に介入する。しかし、北京政府の呉佩孚軍に敗北してしまう。1918年(民国7根)6月には湖南省から撤退して、南寧に戻った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「譚浩明」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.