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護得久御殿(ごえくうどぅん)は、尚元王の長男・尚康伯、久米具志川王子朝通(1557年 - 1575年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期には、越来間切(現・沖縄市)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 1世・朝通は尚元王の長男であったが、庶子のため王位には就けず、弟の尚永が即位した。2世・朝盈は尚質王の摂政を務めた。また、尚質王は即位前、一時朝盈の養子となっていた。12世・朝置は歌人として著名、14世・朝惟は、衆議院議員を務めた。 == 系譜 == * 1世・久米具志川王子朝通 * 2世・尚享、久米具志川王子朝盈(尚久七男。朝通の養子となる) * (3世)・尚質王(尚豊王四男。一時朝盈の養子となるも、後に即位。) * 3世・久米中城按司朝清(金武御殿2世・金武王子朝貞の三男。朝盈の養子となる) * 4世・具志川按司朝宏 * 4世・具志川按司朝孝 * 5世・具志川按司朝宜(玉城御殿四世・高嶺按司朝喜の長男。朝清の娘・真牛金の婿となり、朝孝の家督相続) * 6世・田崎按司朝崇 * 7世・具志川王子朝利 * 8世・大田按司朝知 * 9世・具志川按司朝寛 * 10世・田場按司朝憲 * 11世・具志川按司朝睦 * 12世・具志川按司朝紀 * 12世・護得久按司朝置 * 13世・諸見里按司朝常 * 14世・護得久朝惟 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「護得久御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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