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護持院(ごじいん)は江戸の神田橋外(現在の東京都千代田区神田錦町)にあった真言宗の寺院〔『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁、『東京名所図絵』119頁。〕。奈良県桜井市の長谷寺の一派であった〔『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁、『東京名所図絵』119頁。〕。 == 概要 == 元禄元年(1688年)、江戸幕府の5代将軍徳川綱吉が湯島にあった知足院を移し、隆光を開山として、護持院と改称したことに始まる〔『日本国誌資料叢書 武蔵』966-967頁、「近世初期の知足院」878頁。〕。 享保2年(1717年)、火災により焼失し、音羽護国寺の境内に移された〔『日本国誌資料叢書 武蔵』966-967頁、『東京名所図絵』119頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「護持院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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