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護烏桓校尉[ご うがん こうい] 護烏桓校尉(ご うがん こうい)は、漢代に設置された官職で、おもに烏桓族を管轄する軍政務官。漢にならい、魏も設置した。秩石は二千石。節を擁し、下僚に一名、司馬二名(各秩石六百石)いる。『三国志』では護烏丸校尉と表記。 == 設置 == 護烏桓校尉を初めて設置したのは、前漢武帝の時代である。 その後建武25年(49年)、遼西烏桓の大人(たいじん:部族長)郝旦(かくたん)らが、朝貢してきた際、司徒掾の班彪が上言して、「烏桓は、天性が軽薄で悪賢く、好んで寇賊をなします。もし久しく放縦して総領する者がなければ、必ずまた居民を侵掠するに違いありません。ただ主降掾吏に委すのでは、おそらく制御できますまい。私の意見では、烏桓校尉をふたたび設置すべきで、こうすれば、彼らを附集するに益があり、国家の辺慮も省けようと思います。」と述べ、光武帝はこれに従い、護烏桓校尉をふたたび設置し、幽州上谷郡寧城に役所を置いた。また、鮮卑や賞賜、質子ならびに毎歳の定時交易を、あわせて統領させた。これにより、明帝、章帝、和帝の三代にわたって平和が保たれたという。 <『後漢書』烏桓伝> なお護烏桓校尉の役所の様子は、ホリンゴール後漢墓の壁画に詳細である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「護烏桓校尉」の詳細全文を読む
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