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谷口英規[たにぐち ひでのり]
谷口 英規(たにぐち ひでのり、1969年7月20日 - )は日本の野球選手(内野手)、野球指導者、学者。2000年から上武大学で硬式野球部の監督を務め、ビジネス情報学部スポーツマネジメント学科准教授でもある。旧名は谷口 英功。 ==人物・来歴== 浦和学院では鈴木健と同期で、夏には2年生エースとして同校初の全国大会である第68回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たす。本大会では3回戦で高津臣吾を擁する広島工を完投で、準々決勝では岡林洋一を擁する高知商を4安打完封して〔第68回全国高校野球選手権大会 浦和学院 対 高知商 〕それぞれ破り、ベスト4に進出。準決勝で水口栄二と佐野重樹を擁する松山商に敗れた。また、大会終了後には韓国遠征に参加する日本代表に選ばれている〔朝日新聞、1986年8月22日付朝刊、P.19〕。翌年も選手権大会に出場したが、初戦で伊良部秀輝を擁する尽誠学園と対戦し、7回まで無失点に抑えるも伊良部に本塁打を浴びて敗れている〔第69回全国高校野球選手権大会 尽誠学園 対 浦和学院 〕。 高校時代はスクリューボールを決め球に持つサウスポーだったが、東洋大学で3年生の時に肩を故障して野手に転向した〔毎日新聞、1993年8月1日付朝刊、P.12〕。なお、大学の同期に桧山進次郎がいる。 大学卒業後は東芝に進み、右足を開く極端なオープンスタンスの構えを確立し、レギュラーの座を獲得した〔。にはアジア選手権の日本代表に選ばれている。同年は日本石油の補強選手として都市対抗に出場し、不振の徳永耕治に代わって一塁手を務めた。初戦から決勝戦まで5試合連続の6本塁打を放つとともに打率.524で首位打者賞を受賞し、チームの優勝に大きく貢献して橋戸賞に選ばれている〔読売新聞、1993年8月1日付朝刊、P.14〕。また、一塁手として同年の社会人ベストナインも受賞した。翌にIBAFワールドカップの日本代表に選ばれる〔毎日新聞、1994年7月16日付朝刊、P.16〕など活躍し、には葛城弘樹の後を受けて主将に就任している。に戦力外通告を受けて退部した〔読売新聞、2008年5月26日付朝刊、群馬地方面〕。 1月に上武大学野球部監督に就任〔。同年春季の関甲新学生リーグで優勝し、翌春から5季連続、春からは6季連続でリーグ優勝を果たすなど、同校を強豪に成長させる。また、の第2回世界大学野球選手権や第33回日米大学野球では日本代表コーチを務めた。なお、2004年には全日本選手権でベスト8に入り、には神宮大会で準優勝し、2013年には全日本選手権で初優勝を果たすなど、全国大会でも上位進出を果たしている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷口英規」の詳細全文を読む
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