翻訳と辞書
Words near each other
・ 谷崎なおき
・ 谷崎ゆかり
・ 谷崎テトラ
・ 谷崎光
・ 谷崎十郎
・ 谷崎千代丸
・ 谷崎千代麿
・ 谷崎央佳
・ 谷崎尚之
・ 谷崎弘一
谷崎忠右衛門
・ 谷崎旭寿
・ 谷崎松子
・ 谷崎泰明
・ 谷崎浩二
・ 谷崎源氏
・ 谷崎潤一郎
・ 谷崎潤一郎記念館
・ 谷崎潤一郎訳源氏物語
・ 谷崎潤一郎賞


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

谷崎忠右衛門 : ウィキペディア日本語版
蒲生忠右衛門[がもう ちゅうえもん]
蒲生 忠右衛門(がもう ちゅうえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。初名は谷崎忠右衛門。別名、内記。

==生涯==
もともとは谷崎姓を名乗っており、織田家重臣・滝川一益に仕えて関東入りし、天正10年(1582年)6月に北条氏直の軍勢と戦っている(神流川の戦い)〔『上州治乱記』〕〔『神流川合戦記(金讃本)』〕。その後、滝川一益は天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦い羽柴秀吉に敗れ所領を失った。しかし、忠右衛門は滝川一益に従い天正12年(1584年)6月、九鬼水軍の船に乗って蟹江城を攻略し、その後の籠城戦では蟹江城の大手門である海門寺口の守将を務めた(蟹江城合戦)〔『武徳編年集成』〕。
蟹江城合戦の後は蒲生氏郷に仕え、天正14年(1586年)の九州平定で戦功を挙げ、蒲生の姓を受けた。蒲生氏郷が奥州入りすると2万5,000石を与えられたが、蒲生忠郷の代に町野幸和と対立し、蒲生郷喜蒲生郷舎兄弟らとともに浪人となった。その後、町野幸和が失脚すると、蒲生家に帰参した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蒲生忠右衛門」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.