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谷崎 精二 (たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は作家、英文学者。谷崎潤一郎の弟。 ==来歴・人物== 東京日本橋蛎殻町に谷崎家の次男として生まれる。生家は母方の祖父が事業に成功したため、当初は裕福だったが、父が事業に失敗し、次第に零落、兄潤一郎は家庭教師をして糊口を凌いだが、精二は阪本尋常小学校高等科を経て工手学校(現在の工学院大学)に通った。卒業後は通信技手をしていたが、しかし兄の影響もあって文学を志し、国民英学会、正則予備校に通い、1909年、早稲田大学高等予科英文科入学、同期に広津和郎があり、坪内逍遥、相馬御風、島村抱月らの指導を受けた。 1912年(大正元年)、広津、相馬泰三、葛西善蔵らが同人誌『奇蹟』を創刊し、少し遅れて参加、創作を発表。 1913年、早稲田大学を卒業、「早稲田文学」を中心に、私小説風の作風や恋愛を題材とする小説を発表し続ける。また英文学者として、英文学のみならずロシア文学も英訳から重訳していた。片上天絃の世話で早大講師となり、のち助教授、教授となるが、昭和初年、創作家としてあまり評価されないことから、創作を半ば断念する。 1941年、『ポオ小説全集』全6巻を完成。早稲田大学文学部には片上派と吉江喬松派の対立があり、谷崎は吉江派の西條八十、会津八一らを追い落とし、1946年、文学部長になったとされる(筒井清忠『西條八十』)。51年、文学博士号を授与される。 長男の谷崎英男はドイツ文学専攻で戦後、早稲田大学商学部教授、次男谷崎昭男は後妻の子で、文芸評論家、相模女子大学学長。保田與重郎の伝記を著している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷崎精二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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