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谷麗光[たに れいこう]
谷 麗光(たに れいこう、1902年11月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.348.〕〔''谷麗光''、''jlogos.com'', エア、2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、日本映画データベース、2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、KINENOTE, 2013年1月29日閲覧。〕〔''谷麗光''、allcinema, 2013年1月29日閲覧。〕。本名井上 栄一郎(いのうえ えいいちろう)〔〔〔。松竹キネマの蒲田・大船の時代、多く喜劇映画の名脇役として活躍した〔〔。 == 人物・来歴 == 1902年(明治35年)11月15日、東京府東京市日本橋区蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)に生まれる〔〔〔。 専修大学経済学部に進学するが、中途退学し、1924年(大正13年)7月、設立直後の築地小劇場に研究生として参加する〔〔。同年8月、松竹キネマが松竹蒲田撮影所内に設けた俳優養成所に移る〔〔。翌1925年4月に公開された牛原虚彦・島津保次郎共同監督による『大地は微笑む』全3篇に出演して、満22歳で映画界にデビューした〔〔。クレジットもない端役出演の長い下積みを経て、1931年(昭和6年)8月15日、満28歳のときに公開された小津安二郎監督の『東京の合唱』で社長役を拝命、以降、同年10月16日公開、成瀬巳喜男監督の『髭の力』、翌1932年(昭和7年)1月29日公開、小津安二郎監督の『春は御婦人から』と立て続けに「社長」役を演じた〔〔。1933年(昭和8年)1月、田中絹代が大幹部待遇、葛木文子、及川道子、飯塚敏子、竹内良一、岡譲二が幹部、小林十九二、坂本武が幹部待遇、小倉繁、逢初夢子、水久保澄子、大日方伝、藤井貢が準幹部に昇進したときに、谷もようやく香取千代子とともに準幹部待遇に昇進している〔松竹, p.274.〕。 1936年(昭和11年)1月15日、撮影所が大船に移転した後も、ひきつづき松竹大船撮影所に所属し、名脇役と呼ばれるようになっていく〔〔。1942年(昭和17年)の戦時体制以降の出演作は、同年4月1日、満39歳のときに公開された、小津安二郎監督の『父ありき』が最初で最後であり、戦時中の出演作クレジットは見当たらない〔〔。 第二次世界大戦終結後も、五所平之助の監督作に、製作会社を問わず顔を出した〔〔。満54歳のときに出演した、1956年(昭和31年)6月8日公開、五所平之助監督の『或る夜ふたたび』以降の出演記録が見当たらない〔〔〔〔。テレビ映画、テレビドラマの出演記録はない〔谷麗光 、テレビドラマデータベース、2013年1月29日閲覧。〕。没年不詳。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷麗光」の詳細全文を読む
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