翻訳と辞書
Words near each other
・ 豊が丘
・ 豊の国
・ 豊の国・歴史ロマン街道
・ 豊の国千年ロマン観光圏
・ 豊の国名水15選
・ 豊の国情報ライブラリー
・ 豊ジャンクション
・ 豊ノ島
・ 豊ノ島大樹
・ 豊ノ海
豊ノ海真二
・ 豊ノ海義美
・ 豊ノ花光義
・ 豊パパ
・ 豊ヶ丘
・ 豊ヶ岡駅
・ 豊下楢彦
・ 豊丘インターチェンジ
・ 豊丘ダム
・ 豊丘中学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

豊ノ海真二 : ウィキペディア日本語版
豊ノ海真二[とよのうみ しんじ]
豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日- )は、福岡県豊前市大字松江出身で、二子山部屋藤島部屋に所属した大相撲力士である。本名は濱田 真二(はまだ しんじ)。最高位は西前頭筆頭(1992年9月場所)。現役時代の体格は190cm、225kg(最重量時は228kgで歴代10位、タイは春日山の現役である萬華城)〔『相撲』2012年1月号 記録の玉手箱〕で、藤島部屋・二子山部屋一の巨漢だった。得意手は左四つ、寄り、閂。
新十両昇進時から1990年7月場所までは、貴ノ浜真二の四股名でお馴染みだったが、翌9月場所より「豊ノ海真二(豊前の海に因む)」に改名した。
== 来歴・人物 ==
小学校時代、地元の豊前市で行われていた巡業で当時大関だった貴ノ花に会い、二子山部屋への入門を約束した。
地元の椎田中学校を卒業後、約束通り上京して同部屋へ入門し、1981年3月場所で初土俵を踏んだ。豊ノ海を含めて、初土俵の同期からは後の小結大善関脇栃司幕下付出)など14人の関取が誕生している。
当初の四股名は、本名と同じ「濱田」であった。なお、改名後の「貴ノ浜」は、「貴ノ花」と本名の新字体である「浜田」に由来している。
その後、部屋付きの藤島親方(元大関貴ノ花)の独立に伴って、1982年3月より藤島部屋に移籍。
序ノ口に付いて以来、順調に出世し、1987年9月場所で十両へ昇進。1988年11月場所に於いて、新入幕を果たした。これにより、佐賀昇と共に昭和最後の新入幕力士となった。
200kgを超えるほどの巨体を利した相撲だったが、完全に脇が甘く、相手に二本差された後から腕を極めて出る取り口が目立った。前頭上位で奮闘した時期もあり、大関・霧島らに勝利したこともある。
1993年2月には、師匠・藤島が実兄で停年間近の二子山親方(元横綱・若乃花)と名跡を交換し藤島親方が二子山親方として二子山部屋を継承することに伴って、再び二子山部屋へと移籍した。
現役時には三役への昇進は果たせず、三賞も受賞できなかった。
序ノ口に付いてから引退するまで、一度も休まず、「1316番連続出場」という記録を残している。
引退後は、年寄・山響を襲名して二子山部屋付きの親方となったが、2002年6月に日本相撲協会を退職した。
退職後は料理人の道へと進み、2008年2月14日に東京都新宿区歌舞伎町に、自身が経営する串焼き店「二丁目のバンデラ」を開店した。
しかし、わずか数ヵ月で閉店し、会社員に転身。
== 主な戦績 ==
*通算成績:655勝661敗 勝率.498
*幕内成績:209勝241敗 勝率.464
*現役在位:108場所
*幕内在位:30場所
*連続出場:1316番(1981年5月場所-1999年3月場所(大相撲史上7位、序ノ口に付いてから休場なしで最終場所の千秋楽まで務めた力士としては史上1位))
*各段優勝
 *十両優勝:2回(1988年9月場所、1992年1月場所=同じ場所で、同部屋の貴花田が幕内最高優勝)
 *幕下優勝:1回(1986年5月場所)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「豊ノ海真二」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.