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豊前長野氏(ぶぜんながのし)は、豊前国の国人領主である。豊前国長野城主。また、豊臣秀吉による九州征伐時の豊前国馬ヶ岳城主。 出自来歴は明かではないものの、史料には断片的にその活動が記されている。 九州征伐に際しては先駆けとして豊前入りした黒田孝高・毛利氏の連合軍に早々に降伏し、城も明け渡した。以後、中津城築城までの間、馬ヶ岳城が黒田の居城となる。長野氏自身は小早川隆景の家臣となって筑前移封に従ったが、子孫は大阪の役にて滅亡した。一部の系統は英彦山に逃れて修験者となり、現代にまで続いている。 修験者となった系統(現在は還俗)の宿坊・守静坊は、現在も枝垂れ桜で有名である。 子孫に、守静坊10代目で日本山岳修験学会顧問を務めた長野覚がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊前長野氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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