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豊壌趙氏(ほうじょうちょうし)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫を豊壌(南楊州)とする。 豊壌は三国史記にもある地名で、高句麗の骨衣内(骨衣奴)を景徳王が荒壌県と改名したものである。 始祖は高麗建国の功臣・趙孟。趙孟は豊壌県の有力者ではじめは趙巌と名乗っていたが、後三国時代に王建に味方し、王建から孟の名を下賜された。 李氏朝鮮後期には、安東金氏との権力抗争を行ったことで知られている。安東金氏を牽制するために純祖によって趙万永ら豊壌趙氏の一族が重用された。孝明世子の妃に趙万永の娘が選ばれ(神貞王妃)、彼女は憲宗を生んだ。豊壌趙氏と安東金氏はそれぞれ外戚として権力を争ったが、憲宗の没後、安東金氏によって哲宗が立てられると、敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊壌趙氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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