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豊島房太郎 : ウィキペディア日本語版
豊嶋房太郎[てしま ふさたろう]

豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年1月5日 - 1979年4月9日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
==経歴==
山口県出身。農業・豊嶋鶴松の二男として生れる。防府中学校卒業を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官、歩兵第42連隊付となる。1916年11月、陸軍大学校(28期)を卒業。
以後、陸軍兵器本廠付(軍事調査部)、陸軍省軍務局課員、フィリピン出張、欧州出張、歩兵第33連隊大隊長、整備局課員(統制課)、朝鮮軍司令部付などを経て、1934年3月、陸軍大佐に進級し歩兵第23連隊長に就任。第1師団参謀長を経て、1937年11月、陸軍少将に進級し留守第12師団司令部付となる。
1938年4月、第3師団長をへて、留守近衛師団長として太平洋戦争を迎えた。1943年6月、近衛第1師団長となり、同年10月、第2軍司令官に発令され、ニューギニアの戦いなどで苦戦を続け、オランダ領東インドセレベス島終戦を迎えた。1946年3月に復員するが、同年5月、橘丸事件戦犯容疑で収容され、1948年4月13日、重労働3年の有罪判決を受けた(アメリカ・横浜裁判248号)。ニューギニアマヌス島で服役するが、オーストラリア・マヌス裁判第4号事件裁判では、1950年7月、無罪判決を受けた。1961年3月から1969年3月まで日本傷痍軍人会会長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「豊嶋房太郎」の詳細全文を読む



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