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豊島時光 : ウィキペディア日本語版
豊島時光[としま ときみつ]
豊島 時光(としま ときみつ、生没年不詳)は鎌倉時代武士。父は豊島朝経(または豊島朝綱)。通称は又太郎。
豊島氏鎌倉幕府創業の功臣で、南武蔵東京都周辺)に所領を持っていた。
時光と大宮盛員(武蔵国の御家人)が武蔵国豊島庄犬食名を巡って争論した。原因は大宮有忠が胴元となった四一半サイコロを用いた丁半賭博のようなもの)にあった〔「仁治二年四月小廿五日癸未 以田地爲博奕賭事 於件所者 可被召放之由被定。是大宮三郎盛員与豊嶋又太郎時光相論武藏國豊嶋庄犬食名 大宮有忠打四一半事起也 各相互雖訴申。遂被収公彼所領云々 對馬左衛門尉仲康爲奉行 又若狹四郎忠淸依御下知違背之科 可造進安居院大宮篝屋并膳所屋之旨 今日同被仰付 是忠淸所領若狹國瓜生庄雜掌成安訴申之故也」『吾妻鏡』第34巻〕。
豊島庄犬食名は豊島氏の所領であり、正確な場所は不明だが、足立区堀之内川口市南平柳、荒川区尾久あたりと推定される〔平野実『豊嶋氏の研究』(名著出版、1974年)p40〕。
鎌倉時代には御家人による双六や四一半による博打が盛んで、中には屋敷や所領まで賭ける者がいて、勝敗がもとで殺し合いにまでなり、社会問題となっていた。幕府は御成敗式目の追加法で幾度も博打の禁令を出しており、違背すれば召し放ちにすると定めていた。
時光と大宮盛員の双方が幕府に訴えを出した。仁治2年(1241年)4月25日、対馬仲康が奉行となり裁決を下し、豊島庄犬食名は没収されてしまった。
時光の父の朝経は土佐守護、祖父の有経紀伊守護を務めて豊島氏が土佐や紀伊へ進出して水運業を営んでいた形跡があり、この事件は単純な丁半博打ではなく、水運業者の時光が所領を投機の対象にしていたのではないかという説もある。〔『豊島氏とその時代―東京の中世を考える』(新人物往来社、1998年)p179-182〕
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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