翻訳と辞書
Words near each other
・ 豊川 (大仙市)
・ 豊川 (曖昧さ回避)
・ 豊川IC
・ 豊川インターチェンジ
・ 豊川バスストップ
・ 豊川中学校
・ 豊川信用金庫
・ 豊川信用金庫事件
・ 豊川信金事件
・ 豊川公園
豊川善曄
・ 豊川地域ポータルサイト みてみン!
・ 豊川地域文化広場
・ 豊川孝弘
・ 豊川小学校
・ 豊川工業高校
・ 豊川工業高等学校
・ 豊川市
・ 豊川市の地名
・ 豊川市コミュニティバス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

豊川善曄 : ウィキペディア日本語版
豊川善曄[とよかわ ぜんよう]
豊川 善曄(とよかわ ぜんよう 1888年 - 1941年)は、日本教育者沖縄県石垣島出身東京高等師範学校卒。1928年より沖縄県立第三中学校教頭1933年朝鮮に渡り興亜学院を創立し院長となる〔豊川善曄 (とよかわ・ぜんよう) - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース 〕。
沖縄県立第三中学校の教諭であった時期には、教師というのは日本政府による同化政策を無批判に推し進めているとされていた。だが当時の豊川善曄は強い沖縄人の意識をあらわにし、その必要性を訴えた。そして沖縄県内においての郷土史教育を推し進めてきた〔1930年代前半沖縄における郷土教育の思想と実践―豊川善曄と「沖縄人」意識の行方― 〕。郷土史教育を行う目的は、魂の振興であるとした。これは薩摩に支配されて以来、押さえつけられて萎縮していた沖縄人の民族魂を解放て元通り元気よく活動させるということである。沖縄人の溌剌としていた往時の面影が無くなっているのは、同化を推し進めて角を矯めて民族魂を殺したためであるとした。だが郷土史教育を行うことで、尚真王時代より働いてきた民族魂が目を覚まし、失われた精神を呼び起こし、沖縄の自力再生の力となるとした〔「県文化運動の機関」としての『沖縄教育』:1923年から1933年までの誌面分析 〕。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「豊川善曄」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.