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豊後国風土記 : ウィキペディア日本語版
豊後国風土記[ぶんごのくにふどき]
豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された豊後国(ほぼ現在の大分県に相当)の風土記である。現存する5つの風土記のうちのひとつ。
== 概要 ==
『豊後国風土記』の正確な成立年代は不詳であるが、『日本書紀』中の景行紀とほぼ一致する記事が含まれること等から、720年以降で、遅くとも740年頃までの間であると考えられる。近年の研究では、形態が類似する『出雲国風土記』が天平5年(733年)に完成したとされることから、『豊後国風土記』も同じく天平5年頃に成立したとの説が有力である〔 西別府元日、「大分縣地方史」第155号1-20ページ 〕。
編者も不詳であるが、大宰府が深く関わっていたと推定される。一説では、天平4年(732年)に西海道節度使として大宰府に着任した藤原宇合が、九州の他の国の風土記と合わせてわずか10か月ほどで完成させたともいわれる。
文献としての体裁を保つ数少ない風土記の1つであり、その存在は『出雲国風土記』とともに近世以降確認されていた。しかし、現存する写本は、巻首と各郡首はそろっているものの、他は欠落した部分が多い。そのため、主に抄本と考えられ、文の量も現存する5つのうちでは最も少ない。また、抄本であること、『日本書紀』の記述と一致する記事が含まれること等から、後世の偽撰とする説がある。
『豊後国風土記』には現在までに100種以上の写本が確認されているが、その祖本は1980年に存在が確認された冷泉家に伝わる書写本であるとされる。この書写本には永仁5年(1297年)の奥書がある。『豊後国風土記』が広く世に流布されるようになったのは、寛政12年(1800年)に刊行された荒木田久老による板本と、文化元年(1804年)に刊行された唐橋君山〔『豊後国志』の編者として知られる。一名、唐橋世済。〕による注釈本『箋釈豊後国風土記』に拠るところが大きいとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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