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名鉄モ580形電車(めいてつモ580がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道(名鉄)に在籍した路面電車である。1976年(昭和51年)と1981年(昭和56年)の二度にわたって豊橋鉄道に譲渡され、同社モ3200形電車と改称・改番された。 == 名鉄在籍時代 == 1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)にかけてモ581 - 584の4両が日本車輌製造で製造された。ノーシル・ノーヘッダー構造の12m級半鋼製車体を持ち、主要寸法はモ570形を踏襲しているが、車体中央にも客用扉を設置し3扉車とされた点が異なる。窓配置は1D4D4D1で、両端の客用扉は二枚引き扉、中央の客用扉は一枚引きの片開扉であり、車端部の乗務員窓が両端扉の戸袋窓を兼ねた構造となっている。正面中央窓上には小型の行先表示窓が設けられ、前照灯は屋根上に設置されていた。なお、室内灯には名鉄の軌道線用車両としては初めて蛍光灯を採用した。 主要機器はいずれもモ570形と同一のものを採用しており、制御器は直接制御式、主電動機は神鋼電機製MT60A(端子電圧600V時一時間定格出力37.3kW)を1両当たり2基搭載し、台車は住友金属工業製KS-40J台車を装備する。集電装置は当初ビューゲルを搭載した。なお、ラストナンバーであるモ584は集電装置にパンタグラフを採用し、台車も防振ゴムを多用した日本車輌製造製NS-9を装備する異端車であった〔主電動機は三菱電機製MB172-NRを搭載した。ただしこの主電動機は神鋼製MT60Aのメーカー違いの同一品であり、定格出力・歯車比等は同一であった。〕。 モ581 - 583は岐阜市内線で、モ584は美濃町線でそれぞれ運用されたが、モ550形(2代)やモ560形(2代)といった北陸鉄道金沢市内線からの譲渡車両の導入に伴い、1968年(昭和43年)以降は全車美濃町線で運用された。同時期には使用されなくなった行先表示窓が全車埋め込まれている。その後、札幌市交通局から譲り受けた連接車モ870形の入線に伴い、余剰となったモ584が1976年(昭和51年)に廃車となり、豊橋鉄道へ譲渡された。モ581 - 583については1974年(昭和49年)から1977年(昭和52年)にかけて、集電装置のZ形パンタグラフ化、正面ワイパーの自動化、放送装置新設等の改造を施工し、引き続き美濃町線で使用されたが、複電圧車モ880形の新製に伴い1980年(昭和55年)に全車廃車となった。 廃車後、モ581・582は後述のように豊橋鉄道へ譲渡されたが、モ583は南知多ビーチランドに搬入され、850系「なまず」等とともに静態保存された。しかし、保存場所が海に近かったことから塩害による腐食が激しく、1990年代初頭に撤去処分されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名鉄モ580形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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