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豊江王 : ウィキペディア日本語版
豊江王[とよえおう]
豊江王(とよえおう、延暦15年(796年) - 貞観5年7月16日863年9月2日))は、平安時代前期の皇族光仁天皇の後裔。三品・薭田親王の孫。高橋王の子。官位正四位下宮内卿
== 経歴 ==
弘仁13年(822年)無位から従五位下に叙爵。天長2年(825年少納言侍従、天長5年(828年)従五位上に叙任。仁明朝では、承和5年(838年正五位下、承和9年(842年従四位下嘉祥2年(849年)従四位上と累進し、この間に中務大輔兵部大輔を歴任する。
文徳朝では、仁寿元年(851年)正四位下、斉衡3年(856年右京大夫に叙任された後、天安元年(857年下総権守、翌天安2年(858年下野守と地方官も歴任した。
天安2年(858年)8月の文徳天皇崩御に際しては山作司を務め、同年11月の清和天皇即位後まもなく宮内卿に転じた。貞観4年(862年)老いと病により官職を辞し、翌貞観5年(863年)7月16日死去。享年68。最終官位は前宮内卿正四位下。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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