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豐來館 : ウィキペディア日本語版
豊栄映画劇場 (新潟県の映画館)[ほうえいえいがげきじょう]

豊栄映画劇場(ほうえいえいがげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である。旧名称豊来館(ほうらいかん)。
== 略歴・概要 ==

1924年(大正13年)、新潟県北蒲原郡葛塚町(のちの豊栄市、現在の同県新潟市北区)に「豊来館」として設立する〔。当初は芝居や浪曲の実演も上演し、映画も上映した〔。「南条文若」時代の三波春夫も同舞台に立ったことがある〔。地域では唯一の映画館であり、1932年(昭和7年)当時、葛塚町内で唯一の映画館であった〔''昭和7年の映画館 新潟縣''、中原行夫、2012年6月10日閲覧。〕。
第二次世界大戦後、同館では、日本映画もアメリカ映画も上映しており、瑞穂春海監督の『あの丘越えて』やヴィクター・フレミング監督の『風と共に去りぬ』、木下惠介監督の『二十四の瞳』等が上映されている。
1954年(昭和29年)(1955年7月11日という説もある)、左右に花道がある芝居小屋仕様の2階席のある建物から、3階建ての劇場に改築、「豊栄映画劇場」と改称、個人商店であったものを株式会社化する〔。客席は1階、2階は映写室と休憩室、3階は映画上映以外の目的に使用する集会所であった〔。翌1955年(昭和30年)3月31日、葛塚町は他2村と合併して、豊栄町(とよさかまち)になっている。1957年(昭和32年)当時には、北蒲原郡には、同館のほか、中条座水原劇場(旧・水原館)、安田映画劇場松浜劇場の4館が存在した〔''昭和32年の映画館 新潟県''、中原行夫、2012年6月10日閲覧。〕。1958年(昭和33年)には、新装開館3周年を記念し、田坂具隆監督の『陽のあたる坂道』が上映された。
1962年(昭和37年)4月に閉館、38年の歴史を閉じた。
アニメーション作家・宝塚大学教授の月岡貞夫、デザイナー・新潟デザイン専門学校講師の月岡哲郎の実家でもあった〔〔『原画はこうして描こう』、奥付。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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