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貝沼 次郎(かいぬま じろう、1933年3月15日 - )は、日本の政治家。新潟大学卒業。元衆議院議員(7期)。 == 来歴・人物 == 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、岡山2区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降7回)。 1985年、公明党委員長の竹入義勝の下で公明党中央統制委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党委員長に就任した矢野絢也の下で、公明党中央統制副委員長に就任する。 1989年5月、公明党委員長の矢野絢也の退任にともない、公明党中央統制副委員長を退任する。 1993年8月、公明党委員長の石田幸四郎の細川内閣入閣にともない、公明党副委員長に就任する。 1994年12月10日、公明党の解散により、新進党結成に参加する。 1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙に、比例中国ブロックから新進党公認候補として立候補し、次点で落選。政界を引退する(2000年6月まで繰り上げ当選の可能性有した。新進党は原則として重複立候補認めていなかったが加藤六月が岡山4区で自民党総裁・総理大臣橋本龍太郎と戦う保険に1位ランクされ割りを食った)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貝沼次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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