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貞愛親王妃利子女王 : ウィキペディア日本語版
貞愛親王妃利子女王[さだなるしんのうひ としこじょおう]

貞愛親王妃利子女王(さだなるしんのうひ としこじょおう、安政5年5月21日1858年7月1日) - 昭和2年(1927年10月24日)は、江戸時代幕末から昭和にかけての皇族。父は有栖川宮幟仁親王
== 人物 ==
有栖川宮幟仁親王の四女。母は家女房・森則子。
文久3年(1863年)10月、尾張藩主・徳川義宜と縁組。
慶応4年(1868年)8月26日に正五位下に叙され、同月27日の明治天皇の即位式において褰帳女王を勤めた。
明治8年(1875年)11月、婚約者の徳川義宜が病没。
明治9年(1876年)4月8日、伏見宮貞愛親王との縁組が勅許される。同年9月2日、結納。同年10月6日、結婚。子に邦芳王昭徳王がいる。
日露戦争では、兵卒のために伏見宮御殿を宿舎にあてさせ手厚くもてなし、軍人の妻にふさわしい賢明な振舞いを見せた。
昭徳王が1歳半で夭折したことにより精神を病んだという〔直球感想文 和館 伏見宮家 その2 - 原著「貞愛親王事蹟」伏見宮家 1931年(昭和6年)〕〔『親王・諸王略傳』 〕〔貴人の黄昏 ―旧皇族家の人々― 伏見宮/利子妃母子の精神錯乱 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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