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貞明皇后 : ウィキペディア日本語版
貞明皇后[ていめいこうごう]

貞明皇后(ていめいこうごう、1884年明治17年)6月25日 - 1951年昭和26年)5月17日)は、大正天皇皇后。旧名は、九条 節子(くじょう さだこ)。
== 生涯 ==

=== 少女時代 ===
1884年明治17年)6月25日、旧摂家公爵である九条道孝の四女として、生母・野間幾子の実家である東京神田錦町に生まれた。道孝は明治4年に正室和子を亡くしており、幾子は道孝の側室だった。
同年7月、東京府東多摩郡高円寺村(現:杉並区)近郊の農家の大河原金蔵・てい夫妻に里子に出され、“九条の黒姫様”と〔『歴代皇后125代総覧』412頁10行目〕〔華族女学校でたちまちクラスの人気者になった。色浅黒く活発だったため、級友たちから「九条の黒姫さま」と呼ばれた。〕呼ばれるほど逞しく育ったという。農家の風習のなかで育ち、栗拾いやトンボ捕りをするなど裸足で遊んだ。〔『歴代皇后125代総覧』413頁2行目。(新人物往来社)〕彼女が健康であることは、病弱な嘉仁親王(大正天皇)の妃となる大きな決め手にもなったようである。1888年(明治23年)には赤坂福吉町の九条家に戻る。
1890年(明治23年)9月1日、華族女学校(後の女子学習院)初等小学科に入学し、1893年(明治26年)には高等小学科に進学する。さらに1896年(明治28年)には初等中学科に進学する。華族女学校では下田歌子石井筆子津田梅子らに師事した。中でも、石井筆子との師弟関係の絆は強く、公私の交際は生涯に亘って続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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