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財田川事件[さいたがわじけん]
財田川事件(さいたがわじけん)は、1950年(昭和25年)2月28日に起きた強盗殺人(刺殺)事件とそれに伴った冤罪事件である。四大死刑冤罪事件の一つ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。 なお、地名の「財田」ではなく川の「財田川」と呼称する由来は、1972年に再審請求を棄却した裁判所の文言で矢野伊吉判事が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と表現したことである〔『昭和史全記録』(毎日新聞社, 1989)p.469〕。 ==概要== 1950年2月28日、香川県三豊郡財田村(現三豊市)で、闇米ブローカーの男性(当時63歳)が全身30箇所を刃物でめった刺しにされて殺害され、現金1万3000円を奪われた。 同年4月1日、隣町の三豊郡神田村(こうだむら)で2人組による強盗事件が発生した。その事件の犯人として谷口 繁義(たにぐち しげよし、当時19歳)ともう1人が逮捕された。この2人は『財田の鬼』と近隣で嫌がられていた不良組だった。警察はこの2人を殺人の容疑で取り調べた。 もう1人はアリバイが証明され釈放となったが、谷口はアリバイ成立に疑惑が残ったため、約2ヶ月に渡って厳しい拷問による取調べの結果、自白の強要により、8月23日、起訴された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「財田川事件」の詳細全文を読む
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