翻訳と辞書
Words near each other
・ 財界人
・ 財界四天王
・ 財界展望
・ 財相
・ 財経
・ 財経大学駅
・ 財経新聞
・ 財経新聞社
・ 財貨
・ 財貨動態論
財賀寺
・ 財部土持氏
・ 財部城
・ 財部実秀
・ 財部實秀
・ 財部彪
・ 財部村
・ 財部町
・ 財部町ふれあいバス
・ 財部羌


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

財賀寺 : ウィキペディア日本語版
財賀寺[ざいかじ]

財賀寺(ざいかじ)は、愛知県豊川市にある、高野山真言宗の寺院。本尊千手観音
==沿革==
創建の時期や事情は定かでないが、寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、神亀元年(724年)に行基が開いたとされ、弘仁4年(813年)、空海が中興したという。現存する金剛力士(仁王)像は平安時代後期、11世紀にさかのぼる作で、この頃にはかなりの寺観が整っていたものと思われる。平安時代末期には、没落した源氏の再興を期する源頼朝が、当寺の本尊に厄除けの祈願をし、宿願が叶って征夷大将軍となった頼朝は、建久3年に本堂を再建し、1300石余りの寺領を寄進してこれに報いたと伝える。
三重塔や七堂伽藍を備え、多くの参詣者を呼んで隆盛を極めていたが、応仁の乱の際に、100余りあった院坊の大半が焼失。山外に擁していた数百の末寺も離散した。文明4年(1472年)、三河国宝飯郡周辺を治めていた牧野古白が現在地に再建。明応4年(1495年)には、奥院が建立された。以後、牧野氏をはじめ、今川氏徳川氏の庇護を受けた。徳川家康は朱印160石余り、山林36町余りを寄進、これにより寺は10万石の格式に列した。
明治時代に入ると廃仏毀釈に遭ったが、寺そのものの廃絶は辛くも免れた。
創立当初は観音山の頂上にあったが、頼朝が再建した際に今の地に移された。文化8年(1811年)から文政6年(1823年)まで12年かけて、現在の場所に建てられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「財賀寺」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.