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責任能力(せきにんのうりょく)とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。 刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう。 == 歴史 == 責任能力の認識に関して、法令上の処遇として文献確認できる最古のものに、「養老律令」(718年)が挙げられる。身体や精神の障碍を軽い順から「残疾」、「癈疾」、「篤疾」の三段階に分け、それぞれの状態に応じて税負担軽減や減刑処置が定められていた。 「獄令 三九 年八十。十歳。及癈疾。懐孕。侏儒之類。雖犯死罪。亦散禁〔「散禁」とは刑具を免ずるとの意。〕。」(獄令三九 80歳以上、10歳以下、癈疾の者、懐妊中の者、侏儒は死罪に当たる罪を犯しても拘禁されなかった。) ただ「癲狂」は免責の対象になる一方で職業上の制限もあったことが同律令に記されている〔八木剛平 田辺英『日本精神病治療史』 金原出版2002年(平成14年) ISBN 4-307-15056-2〕。 江戸時代においては「御定書百箇条」78条に「乱心にて人を殺し候うとも、下手人となすべく候 然れども乱心の証拠、慥にこれ有る上、殺され候うものの主人ならびに親類等、下手人御免を願い申すにおいては詮議を遂げ、相伺うべき事 但し、主殺し親殺したりといえども、乱気紛れ無きにおいては死罪」とあり、当時の刑事法制では心神喪失や触法少年に対しては減刑が考慮される可能性のみに留まり、親殺しなどの大罪については一般の犯罪者と同様に直ちに極刑にされた(殺害された被害者が乱心の殺害者より身分が低い場合被害者の主人と親類など身内が許すと死刑でなく一族により家に閉じ込められる押し込めにされた〔芹沢一也『狂気と犯罪』なぜ日本は世界一の精神病大国になったのか 講談社α新書2005年(平成17年) ISBN 4-06-272298-4〕。また触法少年に対しては死刑を執行せずに15歳まで親戚の監視下に置かれた後に15歳になってから遠島の処分が執行され、入墨以下の刑については年齢を問わずにそのまま執行された)とされる。これは、当時においては今日の刑法学でいうところの客観主義を採用して故意・過失を問わずに行為の存在のみで同一の犯罪が成立したこと、縁座(連座)に代表されるように社会的な見せしめのために犯罪者の血縁者という理由のみで未成年者への刑罰が行われることもあった当時において、行為者の内面や状況を積極的に評価する意識が低かったことによるものである。 明治時代以後に、欧米の近代法の制定に伴い、刑法・刑事訴訟法等によって「責任能力」という観点が強調されていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「責任能力」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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