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貴乃花部屋 : ウィキペディア日本語版
貴乃花部屋[たかのはなべや]

貴乃花部屋(たかのはなべや)は、日本相撲協会所属で貴乃花一門相撲部屋。前身は二所ノ関一門の二子山部屋である。
== 歴史 ==
1962年(昭和37年)5月場所直前に花籠部屋に所属する横綱若乃花が引退して年寄・10代二子山を襲名した後、同年9月2日に花籠部屋から分家独立して二子山部屋を創設した。10代二子山は横綱・若乃花や横綱・隆の里を筆頭として、自身の実弟である大関貴ノ花や大関・若嶋津など数多くの関取を育て上げた。
10代二子山が師匠を務めた時代の二子山部屋からは、藤島部屋(旧・藤島部屋)・間垣部屋(現在は消滅)・鳴戸部屋(現在は田子ノ浦部屋に改称)・松ヶ根部屋(現在は二所ノ関部屋に改称)・荒磯部屋(現在は消滅)・花籠部屋(再興、現在は消滅)が分家独立を果たしている。
1993年(平成5年)3月に10代二子山が定年退職を迎えるため、同年2月1日付で10代二子山と藤島部屋の師匠を務める12代藤島(元大関・貴ノ花)が年寄名跡を交換し、12代藤島が11代二子山を襲名すると共に、二子山部屋と藤島部屋が合併した。これにより、二子山部屋は幕内力士10人を含む総勢50人もの大所帯となった。

1994年11月場所後には11代二子山の次男である貴ノ花が横綱へ昇進し、1998年5月場所後には11代二子山の長男である若乃花が横綱へ昇進したほか、大関・貴ノ浪や関脇・安芸乃島、関脇・貴闘力など数多くの関取を輩出し、1990年代中期から後期にかけて二子山部屋は全盛期を迎えた。
その後、2003年1月場所限りで引退して二子山部屋の部屋付き親方となっていた一代年寄・貴乃花親方(元横綱・貴乃花)が、2004年2月1日付で二子山部屋を継承し、部屋の名称も「貴乃花部屋」へと変更された。
貴乃花部屋と改称してからは最初に迎え入れた弟子となる藤中が同年3月場所で初土俵を踏んだものの、藤中はわずか10ヶ月で引退しボクシングに転向した。同年5月場所中に貴ノ浪が引退して部屋から関取が不在となり、2000年代中期には入門者も現れずに所属力士が減少した。また、この時期には貴乃花部屋の部屋付き親方である17代藤島(元関脇・安芸乃島)と貴乃花親方が対立したことから、17代藤島が入門時の師匠である11代二子山に許可を受けて2004年5月27日に高田川部屋へ移籍(事実上の破門)するという内紛も起こった。
しかし、2008年3月に約4年ぶりの新弟子となる貴天秀が入門して以降は、徐々に所属力士が増加し、現在は12人の力士が在籍している。2012年7月場所においてモンゴル出身の貴ノ岩が新十両へ昇進し、貴乃花親方が部屋を継承してから入門した力士としては初となる関取が誕生している。
2010年1月に行われた日本相撲協会理事選挙において、貴乃花親方が二所ノ関一門内の事前調整を拒否して独自に立候補を表明したために、貴乃花部屋はそれまで所属していた二所ノ関一門から離脱した。その後はどの一門にも属さずに、大嶽部屋など志を同じくする部屋と「貴乃花グループ」を形成し、2014年5月に同グループを「貴乃花一門」と改称している。
外国人や学生相撲出身の力士が台頭する中で、貴乃花親方自身が経験してきた昔ながらの叩き上げ教育を軸に若手を育てている。そのため、長らく在籍力士の全てが中卒の日本人力士のみであるという特徴があったが、2008年11月場所においてモンゴル人力士の貴ノ岩が入門して以降、現在では中卒以外の力士も在籍している。また、部屋を継承した直後は、貴乃花親方は自身の自宅から部屋に通う形で弟子を指導してきたが、2005年8月からは部屋に住み込んで弟子と生活を共にするようになっている(ただしおかみである花田景子は同居していない)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「貴乃花部屋」の詳細全文を読む



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