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賀陽宮(かやのみや)は、明治中期に久邇宮朝彦親王の第2王子邦憲王が、父宮がかつて称していた宮号を受け継いで、新しく創設した宮家である。賀陽宮の宮号は、朝彦親王の宮邸の榧(かや)の老木に由来するという。 == 系譜 == === 賀陽宮邦憲王 === 初代邦憲王(くにのりおう)は、慶応3年(1867年)に誕生。幼名を巖麿王という。本来、父宮朝彦親王の跡を継ぐ予定だったが、病身の故をもって久邇宮家の家督を弟邦彦王に譲った。1892年(明治25年)に醍醐忠順侯爵の長女好子と結婚。 京都に一家を構えるにあたり新たな宮家設立を明治天皇に請願し勅許を得、賀陽宮を称した。邦憲王は、1895年(明治28年)に伊勢神宮祭主に就任。1909年(明治42年)、42歳で薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀陽宮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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