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賀陽宮邦寿王 : ウィキペディア日本語版
邦寿王[くにながおう]

邦寿王(くにながおう、1922年大正11年)4月21日 - 1986年昭和61年)4月16日)は、日本の元皇族陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉賀陽宮恒憲王の第1王子。
==生涯==
1941年7月、陸軍士官学校(55期)を卒業。陸軍少尉に任官する。大尉時代には早淵四郎中将のもとで豊橋第一陸軍予備士官学校の教官を務め、精神訓話と戦術の講義を担当した。1942年4月、満20歳に達したため、貴族院の皇族議員となる(1946年5月まで)。1942年から南方を転戦。陸軍大尉として敗戦を迎える。
復員後、1946年京都大学経済学部に入学。大学在学中、1947年10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われ、賀陽邦寿(かや くになが)となる。1950年に京都大学経済学部卒業。東京銀行日本国土開発などへの勤務を経て、後に賀陽会(かようかい)を主宰、賀陽政治経済研究所を設立し、所長となった。また、第8回参議院議員通常選挙1968年7月7日投票)に全国区から立候補したが落選した。大日本居合道連盟初代会長を務めた。〔大日本居合道連盟 連盟について 、2012年8月4日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「邦寿王」の詳細全文を読む



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