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偽エチオピア皇帝事件(にせエチオピアこうていじけん、)とは、1910年に起こった悪名高い担ぎ屋ホーレス・デ・ヴェレ・コールによる悪戯で、偽者のエチオピア皇帝〔当時の本物のエチオピア皇帝はメネリク2世だが、1906年に脳出血で倒れ、以後は皇后が政務を代行するような状態であった。〕とその随行団がイギリス海軍の戦艦に乗り込んできた詐欺事件である。 == 事件の概略 == イギリス海軍戦艦ドレッドノートは1910年2月10日に、イギリス海軍本部からの緊急の電報の指示により「アビシニアの王族」(エチオピアの古称)一行を迎える事になった。しかし、この一行は悪戯であり、この一件は後にドレッドノート・ホウクスとして知られるようになった。 一行は後にヴァージニア・ウルフとして作家としてデビューすることになるヴァージニア・スティーブンやその弟であるエイドリアン・スティーブンをはじめ、ダンカン・グラント、アンソニー・バクストン、ガイ・リドリー、そしてコールの6人であり、全員「ブルームズベリー・グループ」に属する大学生達の仮装であった。 コールたちはまずロンドンのパディントン駅に向かい、外務省の要請だとしてウェイマスまでのお召し列車を仕立てるよう要求し、必要経費を支払った。駅長はそれに従った。 海軍はイギリス南部にあるドーセット州のウェイマス港で偽お召し列車から降り立った一行を出迎えたが、この一行はエチオピアでは使用されていないスワヒリ語〔エチオピアで使用されている言語は公用語のアムハラ語などである。〕のカードを渡していたり、エチオピア人に見えないようなお粗末な仮装であったにもかかわらず、大多数の海軍軍人は偽者とはおもっていなかった。海軍には一人だけエチオピアに通じた将校がいたが、彼は長期出張中で不在であることを一行は事前に調べ上げていた。彼らはラテン語やギリシア語をもとにしたでたらめな言葉で話し、特に戦艦に乗り込むとあらゆるものを指さして「ブンガ、ブンガ!(Bunga, bunga!)」と叫び、士官たちに偽の勲章を授与した。そのうえイギリス海軍も誤ってザンジバルの国歌演奏をしてしまうミスをしていたが、こちらも誰も間違いに気付いていなかった。また一行はチンプンカンプンな挨拶をしていたが、最後まで正体はばれなかった。彼らはロンドンに帰着するとデイリー・ミラーに真相と「王族」の写真を送りつけ、ネタ晴らしして真相が明らかになった。 この事件を翌日の新聞各社は大きく取り上げ、面目を失った海軍はコールらの処罰を求めたが、彼らは法律を犯したわけではなかった。コールは海軍大臣室に呼び出されたものの、法律を犯したわけではなかったために罪には問われなかった〔「詐欺師の楽園」p20 種村季弘著 岩波書店現代文庫 2003年1月16日第1刷〕。 その後もドレッドノートにはこの話が付いて回り、1915年3月18日に第一次世界大戦において、ドレッドノートがドイツの潜水艦U-29を体当たりで撃沈した際にも「ブンガ、ブンガ!」という祝電が送られたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「偽エチオピア皇帝事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dreadnought hoax 」があります。 スポンサード リンク
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