翻訳と辞書
Words near each other
・ 赤崎小学校
・ 赤崎村
・ 赤崎村 (岩手県)
・ 赤崎村 (新潟県)
・ 赤崎温泉
・ 赤崎睦美
・ 赤崎神社
・ 赤崎祭
・ 赤崎秀平
・ 赤崎線
赤崎義則
・ 赤崎貞幹
・ 赤崎駅
・ 赤崎駅 (曖昧さ回避)
・ 赤崗塔駅
・ 赤崗駅
・ 赤嵌楼
・ 赤嵜
・ 赤嶺亮
・ 赤嶺寿乃


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

赤崎義則 : ウィキペディア日本語版
赤崎義則

赤崎 義則(あかさき よしのり、1927年9月11日 - )は、日本政治家。元鹿児島市長(第19代、5期)〔。元鹿児島市助役(第24代)〔『鹿児島市史第4巻』 p.27、鹿児島市、1990年〕。
== 来歴 ==
鹿児島県出身。1949年鹿児島農林専門学校(現鹿児島大学農学部)卒業。同年鹿児島市役所に入る。市役所では農林部経営課長、指導課長、財政部管財課長、行政部職員課長、行政部長、総務局長を経て、1984年3月助役に就任した〔。
同年12月に前任の山之口安秀が病気を理由に辞職したことにより行われた、鹿児島市長選挙に立候補して初当選〔『鹿児島市史第4巻』 pp.24-25、鹿児島市、1990年〕。以来5期務めた。任期中の1993年平成5年)には、鹿児島市を中心に甚大な被害をもたらした平成5年8月豪雨が発生し、災害復旧・復興や石橋の移設を行い、2004年平成16年)の市町村合併の際には周辺5町を鹿児島市に編入する際の主導的役割を担った〔『鹿児島市史第5巻』 pp.24-25、鹿児島市、2015年〕。
また、1999年平成11年)から2001年平成13年)の間、全国市長会会長(第23代)に就任していた〔全国市長会の概要 - 全国市長会、2015年11月24日閲覧。〕。
2004年の市長選には出馬せず引退した。なお、就任期間の5期20年は歴代の鹿児島市長では最長である(2015年現在)〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤崎義則」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.