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赤嶺昌志[あかみね まさし] 赤嶺 昌志(あかみね まさし、1896年(明治39年)3月8日 - 1963年(昭和38年))は、日本のプロ野球球団経営者。プロ野球球団の名古屋軍理事(現在の日本プロ野球における球団代表に相当)、セントラル・リーグ総務などを務めた。 ==経歴== 大分県出身。明治大学法学部卒。 名古屋新聞社に就職し、1936年のプロ野球リーグ結成に同社が「名古屋金鯱軍」として加わったため、赤嶺もプロ野球にかかわるようになる。さらに金鯱軍の代表に就任。金鯱軍は1940年、翼軍と合併(大洋軍の発足)がなされ、事実上消滅したが、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まると、新聞事業令をはじめとする新聞統合により、1942年に名古屋新聞社と新愛知新聞社(名古屋軍の経営母体)が合併し、中部日本新聞社となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤嶺昌志」の詳細全文を読む
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