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赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日-1965年7月21日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員を3期務めた。 == 略歴 == 山口県徳山市の浄土真宗本願寺派徳応寺に生まれる〔〕。 1913年、京都女子専門学校入学。在学中は、賀川豊彦の社会事業に協力。その後、大学を中退。1923年、上京し労働運動に取り組む。同年9月に発生した関東大震災における賀川豊彦の罹災者救済活動に協力〔。 1925年日本労働総同盟婦人部にはいる。この間、野田醤油労働争議に参加〔。1940年、日本労働総同盟は自主解散し、大日本産業報国会に組み入れられた。 1946年の日本労働組合総同盟・ゼンセン同盟の結成に努力〔。 1947年の第1回参議院議員通常選挙全国区で初当選。1948年、芦田内閣厚生政務次官。 1960年の民主社会党の結成に参加〔。 1965年、伊豆韮山の温泉で死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤松常子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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