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赤松持則[あかまつじそく]
赤松 持則(あかまつ もちのり)は、室町時代前期の武将。 赤松則祐の子(義則の弟)として生まれる。この年は不明だが、名前(諱)の「持」の字は足利義持(のちの室町幕府第4代将軍)から受けたものとみられ、この場合、第3代将軍・足利義満の1字を受けた満則(1366年生まれ)より後に生まれたものと思われる。 康応元年/元中6年(1389年)、将軍・義満が厳島神社に参詣の途上、備前牛窓港で一泊したとき、その接待を務めた〔『鹿苑院殿厳島詣記』。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。172頁。〕。元中8年/明徳2年12月30日、明徳の乱で山名氏清と山名満幸が京都に攻め込んできた際、兄・義則や満則と共に二条猪熊において奮戦して山名軍に勝利するも、戦死した〔ただし満則のように『明徳記』に戦死とは記されておらず『赤松族譜』に明徳2年戦死と記されている。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。172頁。〕。 尚、庶流の別所氏の名跡を継いだとされ、別所持則とも呼ばれる。子孫は赤松家臣の別所氏として続き、別所則治は持則の曾孫とされる。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤松持則」の詳細全文を読む
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