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赤松 正澄(あかまつ まさずみ、生年不明 - 天正5年12月3日(1578年1月10日))は、戦国時代の武将。赤松正満の長男。播磨国丸山城主。 元亀3年(1572年)、丸山城主として存命しているという記述が残っているが、天正5年(1577年)、上月城に攻め寄せた織田軍との戦いで、叔父・政範、政直らと共に討死している。 正澄の大叔父も赤松正澄と名乗っており、そちらはのちに高島正澄と改名している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤松正澄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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