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『浅い夢』(あさいゆめ)は、1976年にリリースされた来生たかおの1枚目のオリジナル・アルバム(LP〈規格品番:MKF-1006〉/CT〈規格品番:CKG-1005〉)である。 表題曲は同年に先行してシングルでもリリースされている。これについても記述する。 == 概要 == :※原則的に、来生たかおは“来生”に省略、来生えつこは“来生えつこ”と表記。 収録曲は全て、姉である来生えつこと共にデビュー前から書き溜めていたものだったが、アルバム完成までには約2年を要した。フォークソングが若者の音楽の定番だった当時、都会的で垢抜けた楽曲の数々は荒井由実にも高く買われ、周辺関係者からは30万枚セールスは間違いないと目されていたが、実際は6000枚という結果に終わった。 アレンジャーやスタジオミュージシャンとして、元ザ・モップスの星勝や、高中正義、高橋ユキヒロ、小原玪、今井裕、後藤次利などのサディスティック・ミカ・バンドの参加メンバー、さらに安田裕美、大村憲二、是方博邦、斉藤伸雄、村上秀一、浜口茂外也らが名を列ねている。 当初、ジャズ・ピアニストの世良譲を交えてアルバム制作をしていたが、プロデューサーである多賀英典の意向により、星勝が中心となって編曲を務めることになったという〔『報知新聞』の芸能欄“悪友親友こう言う録”(1991年5月23日)〕。来生は、ドラムのフィルインまで譜面に書き記し、レコーディングにもたっぷり時間をかける星勝に対し、独学ながら凄い人物であるとの感想を述べている〔。ちなみにレコーディングの際、食通の多賀と星が出前で“トロ鉄火丼”を取っていた(ただの鉄火丼でなくトロだった)のを目の当たりにし、“歌の世界は良いな”と思ったという〔。 ジャケット写真は、ハリー・ニルソンの1976年のアルバム『...That's the Way It Is』(ハリーの真相)をイメージして撮られたものと思われる。 井上陽水は、本アルバムを聴いた感想として、1曲目(浅い夢)から来生の人柄に触れ、また、姉弟の調和に驚きを、レコーディングスタッフには熱意を、そして何より「生きていたのがとてもうれしく感じられた」と述べている〔『週刊少年マガジン』1976年12月12日号(第50号)の特集記事「カラー特別企画 陽水・小椋佳につづく彗星 ニューシンガーソングライター 来生たかお大誕生」内の「生きていたんだね,来生くん」(講談社/1976年12月12日)〕。 小林武史は、自選の名盤69枚の1つとして挙げている〔『Switch』2008年12月号(Vol.26 No.12)の特別企画“「小林武史的名盤」を聴き取る 小林武史が選ぶ、名盤69枚”(スイッチパブリッシング/2008年11月20日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅い夢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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