翻訳と辞書 |
赤穂城断絶[あこうじょうだんぜつ]
『赤穂城断絶』 (あこうじょうだんぜつ、''The Fall of Ako Castle'' or ''Swords of Vengeance'' ) は、1978年の日本映画。監督 : 深作欣二、製作 : 東映。カラー・ワイド・シネマスコープ、160分。オールスターキャストで、忠臣蔵25回目の映画化である。昭和53年度文化庁芸術祭賞参加作品。 == 解説 == 映画『柳生一族の陰謀』が大ヒットしたため(日本では同年1月に公開)、東映社長の岡田茂が深作欣二へ萬屋錦之介を主役にして、忠臣蔵を題材にした映画を製作するよう指示した。深作は従来通りの忠臣蔵か、実録調など検討した結果、最終的に討ち入りよりも赤穂と吉良のスパイ合戦をメインの内容にしようとした。参考試写で戦前の『元禄忠臣蔵』を観た深作は脱落していく浪士たちの物語に感銘を受け、これも盛り込もうとしたので、主人公の大石内蔵助(萬屋錦之介)の存在はどんどん希薄なものになっていった〔。深作と岡田は吉良上野介の視点からの忠臣蔵を描きたく、配役は錦之介を吉良、金子信雄を大石内蔵助でプランしていた〔。しかし東映京都撮影所で育ってきた錦之介にとって大石役は、これまで片岡千恵蔵、市川右太衛門ら"御大"たちの演じてきた"役者の本懐"であり、吉良役を受け入れる筈もなく、歌舞伎関係の周囲にも吉良役を反対され、従来通りの忠臣蔵を要望し堂々たる大石像を求めた〔〔『キネマ旬報』1997年12月16日号、p16-21〕〔『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年、p282-283〕。既に『柳生一族の陰謀』でも深作と錦之介は撮影時に対立しており( ⇒ 柳生一族の陰謀#撮影)、本作では錦之介がカメラマンの交代を求め、クランクイン後も深作と錦之介は決して折り合うことはなかった〔〔。遂に深作が岡田へ降板を申し出るが説得され、本来のオーソッドックスな作品で完成したが、『柳生一族の陰謀』の半分にも満たない興行成績に終わった〔〔。 それでも何か変化のあるものにしたかった深作は、主君の無念を晴らす赤穂浪士と吉良家の対立による仇討ちと描写されてきた物語に、本作では討ち入り時の不破数右衛門 (千葉真一) と小林平八郎 (渡瀬恒彦) の一騎打ちで劇を盛り上げ、赤穂浪士が公儀へ反逆したと認識する幕府、単なる美談調の展開にせず討ち入りから脱落してゆく浪士や死にゆく者など、全編をドキュメンタリータッチに演出した〔。錦之介の意向を汲み取り仕上げられた本作は深作にとって窮屈さと不本意なもので〔、16年後の1994年に深作は再び忠臣蔵を題材にした映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』を作った。本作で渡瀬はキネマ旬報賞助演男優賞と第21回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞した。 ちなみに錦之介は、翌年の1979年4月16日から同年12月24日まで全36回に渡り放送されたテレビ朝日系テレビ時代劇『赤穂浪士』(テレビ朝日・東映京都・中村プロダクション)にも、同じ大石内蔵助役で出演している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤穂城断絶」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|