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赤穴盛清 : ウィキペディア日本語版
赤穴盛清[あかな もりきよ]

赤穴 盛清(あかな もりきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将出雲赤穴城(瀬戸山城)主。
== 生涯 ==
享禄2年(1529年)、赤穴光清の三男として生まれる。父光清は、天文11年(1542年)7月の大内義隆による第一次月山富田城の戦いで瀬戸山城を守って戦死した。長兄の詮清と次兄の定清も大内氏のために相次いで死去したことから、祖父の赤穴久清の後見を受けて家督を相続した。戦後に尼子晴久は、亡き光清の忠義に応えるため、盛清に加増して報いている。
晴久没後の永禄5年(1562年)に毛利元就による第二次月山富田城の戦いが始まると、瀬戸山城は今度は毛利の大軍に攻められることになる。盛清は、毛利勢に降伏し、富田城攻めの先鋒を務めた。
尼子氏滅亡後は毛利氏に仕えた。晩年には祖父と同じ久清の名を名乗っている。また、弟の幸清に家督を譲って隠居している。
文禄4年(1595年)に死去。享年67。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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