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赫連昌[かくれん しょう]
赫連 昌(かくれん しょう)は、五胡十六国時代の夏の第2代皇帝。北魏に敗れてその庇護下で会稽王となり(428年 - 430年)、次いで秦王となる(430年 - 434年)。 == 生涯 == 武烈帝赫連勃勃の三男として生まれる。真興7年(425年)、父帝の死で皇位を継承し、第2代皇帝として即位する。承光2年(426年)、二路より5万の兵を進めて西秦を攻め、都の枹罕を陥して西平まで進出したが、逆に手薄になった本国を北魏の太武帝拓跋燾に攻められて関中諸城を占領された。 承光3年(427年)、北魏の侵攻を受けて都の統万城を占領された。赫連昌は統万城から脱出し、安定を都に定めて抗戦したが、各地で北魏軍に敗れ、承光4年(428年)に北魏に捕らえられた。 その後は北魏の庇護を受けて会稽公となり、神䴥3年(430年)に秦王に封じられるが、延和3年(434年)に北魏によって殺された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赫連昌」の詳細全文を読む
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