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ミラクル・パワーコンビ(The Miracle Power Combination)は、プロレスラーのスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディによるタッグチームの通称である。この他、超獣コンビとも呼ばれる。まれに全日本プロレス中継のアナウンサーが、「超ミラクルパワーコンビ」「超ミラクル野獣パワーコンビ」と「超」をつけて呼称したこともある。 == 概要 == === 結成 === 若手時代のブロディがまだ本名のフランク・グーディッシュを名乗っていた1974年8月、オクラホマやルイジアナなどのアメリカ中南部を拠点としていたNWAトライステート地区にて初結成。当時、同地区はエース・レスラーのビル・ワットがチーフ・ブッカーを兼任しており、ワットの右腕だったバック・ロブレイが彼らのマネージャーを務めていた(ロブレイは日本での再結成当初も両者のマネージャーとなっている)〔『Gスピリッツ Vol.18』P22-23(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661)〕。 ブロディとハンセンはそれぞれウエスト・テキサス州立大学のアメリカンフットボール出身の先輩・後輩であり、親友でもある。1974年10月10日には同地区認定のUSタッグ王座を獲得しているが、これは両者にとって初タイトルであった。翌1975年7月にダニー・ホッジ&ジェイ・クレイトンに敗れ王座を失った後、二人はコンビを解消して別々のテリトリーを転戦〔。 以後、両者は1976年下期にWWWFで再びタッグを組み、イワン・プトスキー&ケビン・サリバン、チーフ・ジェイ・ストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフ、ボボ・ブラジル&S・D・ジョーンズなどのチームと対戦している。しかし、当時は同じヒール陣営のジ・エクスキューショナーズ(1号=キラー・コワルスキー、2号=ビッグ・ジョン・スタッド)がWWWF世界タッグ王座に就いていたためタッグタイトルに挑戦することはなく、それぞれWWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの挑戦者としてシングルプレイヤーとなって活動し、本格的なタッグチームを結成していたわけではなかった。 その後は1979年4月21日、古巣トライステート地区のルイジアナ州ニューオーリンズにて、トニー・アトラス&チャーリー・クックと対戦、反則負けを喫している〔。以降、ハンセンは新日本プロレス、ブロディは全日本プロレスの看板外国人レスラーとなり、アメリカでの主戦場も異なったため再結成が実現することはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミラクルパワーコンビ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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