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越中公方[えっちゅうくぼう] 越中公方(えっちゅうくぼう)とは、1493年に明応の政変に遭った室町幕府10代将軍足利義材が越中国射水郡放生津で樹立した政権。当時は越中御所の呼称も用いられた。現在は放生津政権、放生津幕府、越中幕府と呼ばれることもある。 == 沿革 == 明応の政変に遭い幽閉された義材は京を脱出した後、越中守護代神保長誠の放生津城(射水市中新湊)に入り、次いで正光寺を改装した御所に入った。御所となった正光寺は、放生津城に隣接する石丸(高岡市石丸)にあった光正寺(現在は射水市本町へ移転)を指すと考えられている。 義材は奉行人を指揮して御判御教書・御内書・奉行人奉書を発給した。 1499年、義尹(義材より改名)が越前に動座したことにより越中での活動を終えた。以降、義尹は越前公方と呼ばれる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「越中公方」の詳細全文を読む
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