|
越後 和男(えちご かずお、1965年12月28日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。 選手時代のポジションはミッドフィールダー(攻撃的MF、守備的MF)。三重県三重郡出身。 == 略歴 == 四日市中央工業高から1984年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部。すぐさま頭角を現すと2年目の1985年シーズンに9年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献し、新人王を受賞した。この活躍により日本代表に選出され、1987年のソウル五輪アジア予選を始め国際Aマッチ6試合に出場した〔。 その後も、後藤義一らと共に古河電工やJリーグ創世期のジェフ市原の中盤を支え、1996年からはジャパンフットボールリーグのブランメル仙台(現 ベガルタ仙台)へ移籍し、中心選手として活躍した。 1999年限りで現役を引退し、指導者に転身。2004年までベガルタ仙台でコーチを務めた。またサッカー解説者としてマスメディアにも登場し、TEPCOマリーゼの応援番組『熱烈応援マリーゼくらぶ』(福島放送)への出演や、スカイパーフェクTV!のJリーグ中継で解説も担当した。 2006年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。2007年から2010年まで日本フットボールリーグのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ監督(ジェフ千葉トップチームコーチも兼務)を務めた。 2011年からベガルタ仙台ユースの監督を務める。 仙台時代の応援歌の原曲は「蒲田行進曲」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「越後和男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|