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越後騒動[えちごそうどう]
越後騒動(えちごそうどう)は、江戸時代に越後国高田藩で起こったお家騒動。藩政を執っていた首席家老小栗美作と、これに敵対するお為方を称する一族重臣とが争い、将軍徳川綱吉の裁定で両派に厳しい処分が下され、高田藩は改易となった。 ==越後松平家==
徳川家康の次男結城秀康は越前国北ノ庄(福井藩)67万石を領したが、元和9年(1623年)、2代藩主松平忠直の乱行を理由に改易となった。寛永元年(1624年)、越前には越後高田を領していた忠直の弟忠昌が入り、忠直の子仙千代(光長)は越後国高田藩26万石を新たに与えられた。 光長は家康の曾孫にあたり、更に母は2代将軍秀忠の娘勝姫であり、御三家に准じる越後中将家として重んじられた。高田藩は開墾を盛んに行い内高は36万石あまりとなっていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「越後騒動」の詳細全文を読む
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